日本アカデメイアとは

「日本アカデメイア」発足に際してのメッセージ

佐々木毅

「日本アカデメイア」の発足に際し、発起人を代表してご参加の皆様に対し、深い敬意と感謝を申し述べたいと存じます。

本会は日本の将来に対する深い危機感を持ち、それをどうにか打開しなければならないという志を抱く人々からなる同志的な結合体であります。現在の日本、特に、政治全体はこうした危機感に応えるには程遠いものがあると言わざるをえませんが、その背後には精神的に弛緩し、とかく目先の理屈にばかり拘泥する、活力を失った社会が広範に広がっています。福沢諭吉は1875年に刊行した『文明論之概略』において、世の中の大半を占める「世間通常の人物」が生み出す世論は「前代を顧て退くこともなく、後世に向て先見もなく、あたかも一処に止て動かざるが如きものなり」と喝破しています。「その意見の及ぶ所近浅」である限り、「議論の本位」はいつまで経っても確立せず、徒に右往左往するばかりであるというわけです。出口は唯一つ、「高尚の地位を占めて前代を顧み、活眼を開て後世を先見」する以外にはないというのが、その結論でした。

本会に参加された皆様の日々の活動の舞台はさまざまでありますが、本会を正しく「高尚の地位を占めて前代を顧み、活眼を開て後世を先見」する会にするのがわれわれの希望であります。参加者がこの志を掲げて互に意志の疎通を計り、新たな未来の可能性を展望できる境地に辿り着くよう努力する場でありたいと存じます。福沢諭吉が辿り着くべき境地としたのは「聡明の大智」「聡明叡智の働」でありましたが、それは、「人事の軽重大小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働」である「公智」でありました。これは政治を含め、あらゆる実践的判断の究極の姿を見事に表現したものに他なりません。本会は、今の日本において「聡明の大智」「聡明叡智の働」はどうあるべきかという問題に深くこだわり続け、それを通して公共人材の基盤形成に寄与したいと存じます。

アカデメイアという名称は古代ギリシアの哲人、プラトンがアテナイの郊外に開設した学園の名称を拝借しました。この学園の実態は必ずしも明らかではありませんが、私が知る限り、学頭プラトンが一方的に講義をする場ではなく、率直な議論を交わすのを大きな特徴としていたといわれております。そこから政治家を初め、多くの人材が輩出しましたが、その基本理念の一つが「魂の向きを変える」ことにあったといわれております。

古代ギリシアのプラトンと明治時代の福沢諭吉を無理やり一つにするつもりはありません。プラトンの哲人王と福沢の「聡明の大智」とは直ちに同じものではありません。しかし、時代を変えるには「魂の向きを変える」必要があるという認識において、両者に共通のものを見出せると信じております。その上で、われわれはこの課題をどう引き受けることができるのか、真摯に議論を交わして参りたいと存じております。

あらゆる会合は有志の集まりです。しかし、本会は以上申し述べたように、格別の意味を持つ有志の集まりであります。有志の皆様のこれからの積極的なご参加とご協力をよろしくお願い申し上げ、発起人としてのメッセージを締めさせていただきます。

平成24年2月19日
「日本アカデメイア」発足懇親会

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