第2部 総論〜日本アカデメイア、われわれのメッセージ

2015年2月5日(木)に開催された日本アカデメイア主催「アカデメイア・フォーラム」。
経済界・労働界・学界・官僚・政治家といった組織の枠を越えて有志が集い、2030年を見据えた日本の長期ビジョンについて「日本力」「国際問題」「価値創造経済」「社会構造」「統治構造」をテーマにした5つの研究会が重ねてきた議論の成果を発表。その後、アカデメイアのメンバーによる問題提起を受けて会場に集まった参加者たちが闊達な意見交流が行なわれ、全体を通じて将来の日本を担う若者たちへのメッセージが随所に散りばめられた会合になりました。

第二部のテーマは「総論〜日本アカデメイア、われわれのメッセージ」です。


第一部の長期ビジョン研究会の報告内容、そして3年にわたる日本アカデメイアの活動の成果を踏まえ、いま私たちが考えなければならないことについて、総括的に議論します。

はじめに牛尾治朗共同塾頭(ウシオ電機会長)より、挨拶が述べられました。

「第一部では長期ビジョン研究会の報告をしました。研究発表を受けて感じたのは、大いなる展望や将来に向けた問題解決にはかなり時間がかかる一方で、危機はもう目前に来ていることです。
この時間差をどう埋めるかという問題は非常に重要であり、日本アカデメイア発足の理由のひとつも、この問題の解決にありました。今日の各研究グループの報告に加え、この後に具体的な問題提起がありますが、その最も重要なポイントは『余剰幻想』という言葉です。これまでの日本の計画は、必ずなんとかなるという「幻想」を「確信」している、要するにグローバル化やIT化や科学技術で経済成長さえすれば、現在のあらゆる困難な状況は解決する、と何となく信じている人が多いことです。
例えば歳出削減について、政治は相当な国債を発行するにとどまり、全く前に進められていないのが現状です。成長が成功しても、それによる収入で歳出の危機は解決できないという事実を、われわれは知らないといけません。われわれはこれからの日本の将来について厳しい現実をどう解決するか、そのための具体的な政策について高いビジョンを描き、考えていくつもりです。この後のスピーチを聞いていただいて、みなさまの間でも率直な議論が展開されることを、心から願っております。」

続いて佐々木毅共同塾頭(明るい選挙推進協会会長)より、本日の討論に先立ち、問題提起が行なわれました。 なお、この問題提起の資料として配布された「我々が次の世代に残すべき日本の姿(余剰幻想を超えて)」。これは本日のアカデメイア・フォーラムに向けて運営幹事会がとりまとめた、日本アカデメイアメンバーの問題意識そのものであり、同時に長期ビジョン研究会の総論にも当たるものです。

「日本アカデメイア発足の目的は、基本的には各界が非常にバラバラな感じで、孤立感を味わっている状況を打破することです。あらゆるネットワークを繋ぎ直し、さらに充実させ、それを世代を越えた形で展開させていく、というハブ的な活動を念頭に置いて、この組織は発足しました。 資料(「日本アカデメイア活動報告」)の冒頭ではメンバー紹介の後、具体的な活動として、総理・党首との交流活動、政治リーダーとの交流活動、各省の官僚との横断的な交流活動、その他テーマ別円卓会議の報告をしております。若手議員有志を招いた次世代政治家との交流会も、11回開催しました。またマスコミ有志と有識者との交流会も計19回開催し、外国メディア関係者ともいろいろな会合を持たせていただきました。

3年近くにわたって活動・議論を繰り広げた上での総論的提案として、戦後70年を迎えるに当たり、われわれが次の世代に残すべき日本の姿の趣旨を述べさせていただきます。

まず、先ほどのお話にありましたとおり、いろいろな困難が私たちの前途には控えているということについては、列席の皆さまにおいても異論はないかと思います。 その上で、2030年を念頭に置いて「尊厳を以て生き、生を全うさせるような社会」あるいは「品位ある社会」の実現を目標に掲げました。この決して容易ではない目標に向かって着実かつリアリスティックに歩んでいくことは、歴史的な状況を鑑みても避けることはできません。大いなる目標から逃げることなく、それを正面から見据えて活動を続けねばなりません。

日本社会の品位ある存続可能性、すなわち日本が品位ある社会でありうるかどうかについては、非常に厳しいシグナルがあちこちからサインがあちこちから出ている、と私どもは認識していますが、そのことについてどれだけ共通の理解と合意が成り立っているかは率直に言って疑わしいでしょう。人口減や財政の問題、社会保障制度の将来、対外関係など、シグナルが発せられている分野を挙げればきりがありません。ひとまず国内的に、どう問題を整理したらいいのでしょう。

総論のキャッチフレーズとして「余剰幻想を超えて」という言葉を使わせていただきました。2030年を念頭に長期ビジョンを構想することは、余剰幻想に終止符を打つことによって21世紀型社会へ飛翔することに尽きるということです。そして、21世紀型社会というのは次の世代に投資する社会、あるいはヤングデモクラシーなどと表現され、次の世代にバトンタッチをすることを考慮したものです。

1960年代から80年代の輝かしい経済成長の時代、(その)遺産によりかかり、過去の考え方・生き方・働き方のままに将来を描き続けようという根深い体質を、私たちは「余剰幻想」という言葉で表現しました。つまり、過去に基づいて未来を描く。私たちはあの時代があまりにも素晴らしかったがゆえに、当時の考え方から抜け出せない、という認識を示したものです。
今の若い世代はバブル経済も高度経済成長も知りません。彼らにとっては、「あの時代はどうだった」ということ自体が違和感のあることでしょう。何を言っているのだと思われても何の不思議もありません。これ自体、日本社会にある種の社会的な亀裂が現実に存在することの一例ではないでしょうか。 人口問題においても財政問題においても、あの時代はよかったと言っている間に現実は厳しさを増していく状況に、今われわれは置かれています。したがって、まずはここから脱却するための具体策を考えなければなりません。

いろいろな問題があるため網羅的な話はできかねますが、いくつかのチェックポイントを挙げましょう。
人口減少、人口構造、財政状態、いずれの問題においても、20世紀にあったと思われる「暗黙の社会契約」を21世紀型のものによって置き換える、すなわち大転換が必要です。このことについては、各グループの研究報告にあった通りです。特に、民主政治も余剰幻想から脱却しなければならないということではないでしょうか。選挙のたびに大仰な公約がまだ出てくることをあたりまえだと思っているのでは、いつまで経っても事態は変わりません。その意味で「余剰幻想」からの解放または「品位ある社会の存続可能性」という考えは、民主制の転換をわれわれに要求しているとも言えます。
例えば、社会保障に関わる今のあり方は大きな問題のひとつで、単純に消費税を上げれば解決されるのでしょうか。われわれの議論では、まずはともかく税を払う人を減らさない、あるいは増やすことが重要だという考え方を打ち出しています。タックスイーターをタックスペイヤーへと変える大掛かりな作業が国民運動として必要で、負担問題は消費税を上げれば片付くという考え自体が余剰幻想のひとつのなれの果てなのかもしれません。
格差が広がり続ける社会で、税制改正や増税はますます難しくなっていくでしょう。遠くない将来、税収額が頭打ちになる恐れがあり、さまざまなシステムの改革が当然問題になってきます。各グループからも提起されていたように、マイナンバーやICT・ビッグデータなどを活用したシステムの筋肉質的な体質転換、隙間的に残っていた遊びを切除したシステムの合理化、あるいは適切な医療行為が提供されるための仕組みに変えることが求められますが、それだけでは不充分でしょう。タックスペイヤーを増やすために、働き方・生き方・考え方そのものを変えていくチャレンジが求められているのです。

人間は長い人生を送れるようになりました。それ自体革命的なことですが、20世紀はそれほど長生きをしない社会を前提として制度が作られていました。長く生きるということは経験も積まれ、それ自体は甚だ喜ばしいことかもしれません。しかし、その社会的な意味をどう考えるかということは、20世紀の中盤にはほとんど誰も考えていませんでした。ですから金融・社会システムなどあらゆる面、あらゆるレベルでのイノベーションが必要になっています。そういう意味で潜在的な能力を持った人々と彼らの活躍の場が今後ますます増え、人口減少社会の中で生涯現役という姿勢が大変重要になってくるでしょう。言い換えれば、年金生活という言葉はそろそろ消滅してしまうかもしれません。
先の研究報告にあった「全員複役社会」というものはまさに生き方、働き方の変容をどのように受け止めるかということについてのひとつの回答です。個々人がその能力を長い時間の中で蓄え、高めていくだけでなく、その能力を正しく評価し、活かしてくれるマネジメント能力も、従来に増して求められるでしょう。
働き方から始まり、自分自身の生き方に対する考え方の大きな転換期にわれわれは今差し掛かっているのです。
余剰幻想からの決別というのは、平坦な世界に入るということではありません。極めてチャレンジングな世界に身を投ずることなのです。チャレンジングな世界に身を投じた人々が新しい社会的なネットワークを構成する中で品位ある社会を維持する、あるいは尊厳を以て生きる姿勢を全うさせるような社会を追い求めていくことを強く期待しています。

この提言の中では、あえて見えないものの大切さを説きました。経済成長以来、「見えるもの=お金」に基づいた発想があまりにも広がりすぎました。今こそ人間の持っている技術力・文化力・人材力・倫理的な資質といったものをもっと活かし、かつそれを評価するというサイクルをもう一度打ち立てる必要があります。もっと言えば、それは安易にお金で問題を解決する行動に走るべきでないということも意味しています。
明治維新や戦後すぐの頃、日本は決して豊かにモノがあるとは言い難い状態でした。あったのは人間のむき出しの能力だけでした。そして、その質的な高さのお陰でわれわれは経済成長も成し遂げることができたし、戦後の民主制もつくり上げることができました。個人的な印象では、当時の世代の人々の能力は、おそらく世界最高水準であり、それがあって初めて戦後の復興を成し遂げることができたのではないでしょうか。 その意味で、人間を大切にし、人間を正しく評価して、そしてその能力を活かせる社会に移行する、という構えをどれだけ浸透させていくというのがこれからの日本だと考えます。研究報告で登場した21世紀型中核人材や包摂しつつ決定していく民主制という考え方は、これに矛盾するものではありません。

21世紀においては、資本主義と民主主義の複雑にもつれた関係をどう解きほぐすかという問題が、おそらく一貫したテーマになることでしょう。どういう手段で解きほぐしていくのか、というのも誰もが気づく大きなテーマです。 まずはわれわれの歴史的な経験を見直し、その上に立って次のステップに進みたい。そうした思いから、この論を提起した次第です。

繰り返しになりますが、日本社会の品位ある存続可能性をわれわれは決して諦めることなく追求していきたいと考えます。そしてお互いに努力をすることの可能性について、みなさんと認識を共通にしたいと思っています。」

 

以上の佐々木共同塾頭の問題提起を受け、ここから参加者同士の質疑・討論へと会は移行していきます。

初めに古賀伸明共同塾頭(連合会長)から、発言がありました。

「余剰幻想」を乗り越えていくために、そして次世代に投資をする社会を作っていくために、新しい社会契約が必要であるとした古賀共同塾頭。その社会契約とは地域・家庭・NPO・諸団体といった民主政治・社会を支えていく中間組織も含めたものだという認識を示します。
そして、今まさにグローバル化と民主主義との関係が世界各国で問われていることついて、より深堀りした議論をしていくべきだとしながら、特に日本の社会では世代間や地域間で共感性の喪失が起こっているという懸念と、それを放置すれば社会の分裂崩壊を招きかねないという危惧を語った古賀共同塾頭。
それを踏まえ、社会構造グループの「信頼社会の構築」「中核的人材の育成」という提言の重要性を強調しました。そして、この中核的人材をこれからどのように育てていくのか、それこそわれわれが全員で考えなければいけない課題だとしました。
最後に、統治構造研究グループによる「主権者が主役となる民主主義を立て直すことのためには有権者教育が必要」という考えにも古賀共同塾頭は触れます。これを現代日本おいて非常に重要な考えだとした上で、加えてその受け皿となる政党の改革に本腰を入れる必要があると考え、政治に携わる人材、あるいは政党の運営能力など、さまざまな面で政党や政治家・国民各層が議論を積み重ねていくべきだと語りました。

続けて、緒方貞子共同塾頭(前国際協力機構理事長)が、問題提起にあった「品位ある社会」という言葉に対するコメントを発します。
緒方共同塾頭は「品位ある社会の存続可能性」という言葉について、大変いい響きのするものだと評価する一方、「品位ある」という言葉は非常に定義しにくいとした上で、自分のことだけを考えて始終することの否定だと考えながらも、その品位の有無は自分が決めることなのか、それとも客観的にみて外から定義されるものなのかを他のメンバーに問います。

これに対し佐々木毅共同塾頭が回答します。「品位ある」とは物質的な執着から距離を置く姿勢であり、あれもこれも欲しがるような姿勢は終わりにしなければいけないという意味が込められていると主張。その上で、「品位がある」とは基本的には他人から見ての評価であり、そうでなければこの概念自体が自己弁護になってしまうだろうと述べました。
ここで曽根泰教運営幹事(慶応義塾大学教授)から、「品位ある」とは「decent(見苦しくない、きちんとした)」ということではないかというコメントが発せられます。


これに緒方共同塾頭は「decent」とは「まあまあこのくらいなら我慢できる、認めよう」という程度のものであり、日本に求められるものとしては「decent」だけでは物足りないと反論。歴史と人間と財力があり、その先に歩を進めることを期待されている日本が「decent」だというのなら、それは恥だと強調しました。 そこで曽根運営幹事が「decent」に上乗せすべき言葉があるのかと問いかけると、緒方共同塾頭は「respected」ではなかろうかと述べました。

続いて、大橋光夫共同座長(昭和電工最高顧問)に意見が求められました。

大橋共同座長は、今回このフォーラムが戦後70年のこの年に開かれたことに何かしらの意味があるとした上で、「日本の再考という事柄をベースにして、国際社会に対してどのくらい貢献できるのか、ということが今の日本に問われていると思います。」 と語ります。さらに「余剰幻想」という表現については、
「正直最初はこの言葉についていけませんでしたが、総論の全てを読んでみると、結局は奥深い歴史観とそれに対する洞察力が行間に込められているのだと思いました。」 と自身の考えを述べます。そして、
「いずれにしても、私たちの主張を政界の方・学界の方・労働界の方・マスコミの方々によく理解していただき、国民が主体的に動くようになることが一番大事なので、われわれはそれに向けた努力をこれから開始しなくてはいけません。21世紀の日本が世界に冠たる国家として本当に評価されるためには、経済の再生ではなくて、見えないものであり一番大きなもの、すなわち精神の復興が必要だろうと思います。また、それを支えるための技術力も必要になるでしょう。物質的な豊かさだけでなく精神的な豊かさを日本が持てるかどうか。これによって混迷を深める世界の動きに日本が果たす役割は大きくなっていくでしょう。」
と語りました。

大橋共同座長はさらに、先述の「品位」についても触れます。
ペリー来航後12年、1865年に来日したシュリーマンの手記にある、江戸時代の日本人が礼節を知り、極めて品位を持っていることに感心したという記述と、戦後来日したマッカーサーが日本人に対する評価を改めるようになったエピソードを例に出しながら、
「品位というものは、自分からそれを高めていこうとすることに価値があると考えます。現在のいろいろな対立や紛争を誰がどうやって解決できるかと考えたときに、それは日本にしかできないことであり、傍観者にならず積極的に関与していくべきである、とこの問題提起の中から汲み取りました」
と語りました。

ここからは参加者との質疑応答です。
曽根運営幹事が会場内の参加者に挙手を募ると、多くの手が上がりました。


1人目の質問者は国際政治学専攻の法政大学大学院生の男性。彼は父がイラク人、母が日本人のハーフであり、まず「品位ある者」について持論を発表しました。
「品位ある者とは、広く人間が憧憬を持って見つめ、かつその人々が個の中に尊厳を喚起させうる者。つまり簡単に言うと、映画スターに自己投影した状態に近いものではないかと思いました。」
彼はそう主張した上で、
「また、次の世代に残すべき日本の姿として、モデルとなる国が他にあるのではないか、と考えました。具体的にはドイツではないかなと思っています。」 とも語ります。

2人目は学習院大学法学部に在学中の女性。
「今後の若い世代が社会に対する姿勢ということで、今回の研究発表で掲げていただいた素晴らしいビジョンに対して、私たち若い世代はどういった姿勢や能力が求められるのか、ということについてぜひお教えいただきたい」
と問いかけます。

3人目は日本青年会議所で選挙関係の担当の委員長を務める男性。
彼は「統治構造研究」グループの発表にあった「子どもの選挙教育」に関する提言を受けて、
「われわれも昨年100箇所以上で選挙教育の授業をしていて、模擬投票などを含めた民主主義の教育を広げていくに当たり、日本アカデメイアと歩調を合わせられないだろうか」
という考えを登壇者に投げかけました。

1人目の男性から寄せられた「品位」の定義に関する意見を受け、緒方共同座長は「品位という概念を定義づけるのは難しい」としながらも
「自分のことだけを考えている人は品位がないとは言えると思うのですが、品位というものがかなり広く他人や他の状況を理解した上でバランスのとれた意見を出していけることなのではないかと思います。」
と回答しました。
続けて信田智人・国際大学研究所教授は、
「国際問題研究グループでは『品位』という考え方を『頼りにされる日本』と表現していります。言うならば、コンピュータ関連企業のキャッチコピーである『Intel Inside』は、インテルのプロセッサが入っていると信頼できるというニュアンスですが、『Japan Included』、すなわち日本が国際グループに入っているというだけで信頼できる。そんな日本を目指していきたいというのが国際問題研究グループの考えです。」
と答えました。

また「次の世代の残すべき国の姿にモデルがあるのでは」という質問に対して、曽根運営幹事が「モデルをスウェーデンやデンマークやドイツに求めようという動きはあったが」と前置きした上で、福川伸次会員委員長(地球産業文化研究所顧問)にマイクが手渡されます。

モデルは自分の中、日本の中にあって、それを探求するのが「日本力研究」グループだと思っています。これから未知の世界に踏み出すわけですから、その中でモデルを、まさに自分で考える、思考するのだと思います」 と語った福川会員委員長に続いて、清家篤共同塾頭(慶應義塾長)も、
「特に高齢化の問題などは日本が一番の先進国ですから、もしも日本の高齢者がヨーロッパに比べて高い就労意欲を持っていることを活かして生涯現役社会を作ることができれば、それが世界に対してモデルになっていくのだと思います。」 と語り、結論としてモデル国はなく、日本が他国に先駆けてモデルとなるべきであるという回答に至りました。



ここで清家共同塾頭は続けて、2人目の質問者の「私たち若い世代はどういった姿勢や能力が求められるのか」という問いに対して、
「一番大切なことはこの研究報告を鵜呑みにしないで、疑うことだと思います。自分の頭で考えることです。この研究発表を見ながら、本当にそうなのだろうかと自分の頭で考え、議論していただきたい」
と回答しました。

ここで再び、参加者の中から質問を募ります。

「余剰幻想とは日本が今まで、特に高度経済成長期に形作ってきた幻想のことであり、それをまるっきり捨てるべきなのだと主張されましたが、その中には人材の優秀さであるとか日本らしい精神も充分に含まれているかもしれません。何を残し、何を捨てるのかをお聞きしたいです。」
と質問したのは、東京大学公共政策大学院生の男性。

続いて、慶応義塾大学大学院政策メディア研究科所属の男性は、
「日本アカデメイアとしてこの提言を作られたのは、各分野におけるベテランの方々だと思います。私を含めた若い世代の声が次のビジョン作りに反映されることはあるのか、その考えを伺いたいです。」
と問いかけます。


また、鈴木佑司・法政大学教授は、「ジョセフ・ナイの『ソフトパワー』の考え方が主流になってきたことの意味が問われているのではないでしょうか。」とした上で、
「100年後のことを考えるという今の我々のかたちはお金や軍事力といったハードパワーではなく、議論を尽くすという新しいタイプの政治展開を変革のために使おうとすることであり、その意味で、今回の報告は歴史的に非常に意味のあるものなのだと思います。とりわけご列席の経営者のみなさんや労組の方々、官僚、大学関係者らが一同にあつまって議論をできるというのは歴史的に見て珍しいことであり、民間の中から変革のための議論が起こってきたこと自体が大変新しい、いわば品位のあることだと思います。ぜひともこういう形での問題解決法を周辺の国々と共有できるよう、アジア的展開におけるファシリテーターとしてこの組織と運動が活かされることを期待したいと思います。」
という意見を発表しました。

余剰幻想の取捨選択に関する質問に対して、佐々木共同座長は、「余剰幻想という言葉の力点は『幻想』にあり、過去を全て否定することではない。」と回答します。さらに、 「若い世代の方々が高度成長期に対してどういう感情を持っているのかわからないこともありますが、私どもにとってはなかなか忘れがたいものがあって、放置しておくとどうしても当時の考え方に立ち戻ってしまいます。そこで、ある種の自省を込めて『幻想』と表現したのです。」
と解説しました。

佐々木共同座長は続けて「若い世代の声をビジョン作りに反映を」という問いかけに、
「今日はこの3年間の活動報告の催しなのですが、これからも私どもの組織は存続していく意義がありそうだと感じています。であればぜひ、今度は若い方々とどういったインターフェースでいろんな議論をしていきたいです。交流の形は何が適切か、という点も含めて検討させていただきたいです。」
と、善処することを示唆しました。

質疑はここで終了し、登壇者の中から数名が、フォーラム全体を踏まえての感想コメントを発表します。


緒方共同塾頭

「戦後においては日本が自国の歴史について批判的な時代が確かにあり、より客観的に見るべきだという動きが起こりました。そして最近は日本否定、日本賛成というような形の研究はもう収まりつつあると感じています。色々な形の研究が出てくる時代に入ってきているのではないかと考えています。」

吉川弘之共同塾頭(科学技術振興機構研究開発戦略センター長)

「今日の議論で気づいたのは、科学的な視点がなかったことです。これは少々品位を欠くのでは、という気がします。現在、あらゆる政策には科学的な助言が必要なのです。その科学的な助言というのは単に科学者がいればいいのではなく、科学者が平均として考えたどの集団にも利益が関係しない、公平、独立な助言であることが重要です。今、何十という国々で科学助言が問題となっていて、残念ながら我が国ではこの科学助言が制度的にできていません。今の科学というのはみなさんが考えている科学とは少し違っていて、例えば物理学も新しいものに変わっています。そうである以上、新しいものを知る若者がいなければ、科学的助言もできないでしょう。」

増田寛也運営幹事(東京大学大学院客員教授)

「宗教や文明間の衝突というよりも、文明間の会話がそもそも成り立たないところに、文明の側からいろんな若い人たちが参加していく時代になってきたと思います。これからは、すぐに答えの出ないような問題を、我が国として議論することが必要な局面にきているということを申し上げておきたいと思います。」

そして本フォーラムの締め括りとして、茂木友三郎共同塾頭(キッコーマン名誉会長 取締役会議長)から、謝辞と今後の日本アカデメイアの活動について、次のような発表がありました。


茂木共同塾頭

「はじめに本日のアカデメイア・フォーラムの開催にあたりまして、大変お忙しい中多くの皆さまにお集まりいただきましたことを、主催者を代表して心から御礼申し上げます。
本日の長期ビジョン研究会の報告のとりまとめに向けて、約2年間、多くのご関係の皆さまが熱心な研究活動を重ねてこられましたことにお礼を申し上げたいと思います。
ご承知のように日本アカデメイアは2012年の4月に発足いたしました。その目標は、新しい日本の創造に向けて、
(1)政治リーダーを始めとする日本の公共を担う人材と対話し、その活動を支えること
(2)政府、政党、経済界、労働界、学界など各界の交流を促し、我が国の人的知的ネットワークと政策を立て直すこと
の二点であり、おかげさまで日本アカデメイアはみなさんのご支援とご協力をいただきまして、これまで精力的に活動を重ねて参りました。総理大臣、閣僚、政党幹部との会合は約70回、長期ビジョン研究会の5つのグループの活動も約80回の会合を開催しました。そのほかにも国会改革の提言をはじめ、さまざまな分野で活動に取り組んでまいりました。

本日の長期ビジョン研究会の各ブループの報告、そしてただいまの議論にもありましたように、我が国は歴史的な転換期を迎えております。
これからの数年間が日本の命運を左右する正念場であると言っても過言ではありません。課題は山積しております。次の世代に引き継ぐべき日本の確かなビジョンを、国民各界が共有しその実現に向けて改革を着実に前進させていくことが何よりも求められていると思います。

そのためにも、政府、政党、経済界、労働界、学界など、各界各層の知的人的ネットワークをさらに豊かなものにし、日本全体の政策形成能力を高めていかねばなりません。そして日本を担う各界のリーダーや次世代を担うリーダーたちを支えていく活動に取り組む必要があると思います。まさに今、日本アカデメイアがその設立の理念として掲げた目標の追求が、我が国に求められています。

日本アカデメイアは本年3月末を持って3年という区切りを迎えます。発足当初、私たちは3年をひとつの目標としていましたが、活動に参加された多くの皆さま、そして政府政党の関係者の皆さまから、日本アカデメイアという存在は今後の日本の改革にとって必要であり「ぜひ活動を続けるべきだ」とのご意見を多数頂戴しております。

私たちは本日の議論で示された時代認識、そして私たちの活動に対する皆さまのご期待を踏まえ、本年4月以降も第二期の日本アカデメイアとしてさらに活動を進めていくことを、この場を借りて皆さまにご報告するところであります。

第二期の日本アカデメイアの活動内容、その方向性については本日のアカデメイア・フォーラム開催後、ただちに関係の皆様に改めてお諮りした上で、その概要を固めてまいりたいと思います。 現時点でその方向性の一端をご報告するならば、第一に長期ビジョン研究会につきましては、研究会は第一期をもって終了いたしますが、その検討成果は報告書のとりまとめに留まらず、いわゆるPDCAサイクルを回し、その趣旨の実現に向けて合意形成活動を続けていきたいと思います。
政府、政党の主要メンバーのみならず、産業界労使の皆さん、マスコミ関係者の皆さん、アカデミズムの皆さん、さらに次世代の政治家や次代を担う大学生の皆さんとも議論を深め、国民的な議論を喚起させていきたいと考えております。
次に、日本アカデメイアの特色である、「産・官・学・政の交流の場」としての存在意義をさらに高めてまいります。メンバーによるより本質的な議論を行なう場を設けるとともに、より若い世代を対象とした交流の仕組みも設けたいとも考えております。 さらに、総理大臣をはじめ、各党の政治リーダーとの対話もさらに充実させてまいります。日本アカデメイアの発信力を強化し、その時々の重要課題に対して積極的に発言を行なうとともに、国際的な発信力の強化にも努めてまいります。

なお、第一期に頂戴したご寄附も第二期の活動に引き継がせていただきます。私たちは後に続く世代のために活力ある日本の創造に向けて努力してまいります。皆さんのご支援を引き続きお願い申し上げる次第でございます。

本日は誠にありがとうございました。」



最後の挨拶の後、曽根運営幹事が今後の活動について述べました。「次の世代が生き生きと活躍できるような新しい日本を作るために、これまでの3年間、皆さまから頂戴したご支援をさらに次への活動に引き継いで、一層の努力を続けたい」と決意の言葉を添え、第二回アカデメイア・フォーラムは閉幕しました。